十五になって思うこと。
受験期に書いたやつです。
書き留めてあったのでまあ晒します。
様々なことがのしかかる十五の受験です。
私立受験が終わり、公立受験が迫っています。
まあ題の通り十五になって思うことですが。
簡単に言うと発想と視点と感覚が変わりました。
発想といえば、全てのことに関して悲観的に且つ客観的に考えるようになりましたね。
まあ中学生の大半なんて、親に依存してるに関わらず、わがままなことを言ったりしてしまうものだと思います。
独立さえしてない、先も見ていない、青春というワードだけで動いているものです。
思春期ですからねw
そういうものです。
スマートフォンが普及し情報などが手軽に入手できるようになったため、努力をすることを忘れ、難しいことから逃げるようになっている傾向もあります。
一部抽象的ですがしっかりとした子ももちろんいます。
傾向からの考察では、内気になったり、自分を守る要は自己愛というもので、周りを考えず行動し、周りを傷つけるか、悲劇のヒロインを演じるか、そのような方法で生きているものです。
恋をするようになり、身体が成長しただけで、実際小学6年生からあまり進歩していないという感じですかね。
何事も批評をせず、きらい、きもいやだ、など逃げのことばや自己尊重をしようとする方が多いと思われます。
多くは個性に左右されますが、その発言する言葉に対してもその意味や内容を第三者視点から見ようとせず、口に出す生き物です。
なんともまあ面白いです。
学生ですから、友達も増えグループで行動することも多くあります。
もちろん自分にも親友がいます。
その中でバカなことをやったりするのは面白いですですが、無理その社会的集団に入ろうとしたりするものもいますね。
意味もなく、ただ依存。依存。と繰り返す。
もちろん自分も独り身では悲しいですが、あまり干渉するのは好きではないです。
グループというものには、様々な概念があり、それが協調して、崩れたり固まったりしていきながら、グループは形成されていきます。
その中にもスクールカーストというのでしょうか、ただリーダーに協調するのみ、意見を述べないで、グループに入るものもいますよね。
社会的地位を築くというのは、ただ協調するだけ、というものではないです。
やはりリーダーになるものは、リーダーシップがなくても、バカだったり、頭がよかったり、運動ができたり、する行動力がある人が多いと思いと思います。
決して客観的に物事を見ない中学生ですから、その傾向を読み取り何か行動しようとか思えないものです。
まあ悲しいですね
とか書いてる俺きもすぎるから晒しますね。
んなのはどうでもいいんです、人は人らしく、自分の光求めてただ生き抜けばいいんです。
お米食べてしっかり生きることに意味があるって受験期の俺に言いたい!!!!
楽しいことも悲しいことも辛いことも色々あって人生だけどその中にも色々に対応して、しっかり生きて行ければいいと思うんです。
別れた彼女、中学の友達、今までお世話になった人、色々な人と関わり合って生きてこられて、今の自分がいるってもんです。そういう方々に感謝してこれからも努力していけよ俺!!!!!!